高年齢の人々にはインターネットを使わない人が多い。さらにメールは使うがブログは面倒だし、玉石混交だし、なにか特殊な人々だけがしているようなので見ないことにしていると言う。その上、仕事が忙しい人々はブログをしていないのが普通だ。
したがってブログの世界に参加している人々は限定されている。しかし参加してみると個人が一人の人間として完全に平等になれることに吃驚する。
年齢、性別、職業、住んでいる場所などが一切関係なくなる。どんな人間でも意見を発表している。他人の意見へ対等の立場でコメントを投稿している。
勿論差別をしようとすれば出来る。豊かな知識の有無、文章術の巧拙、写真や絵画の上手下手、朗読や音楽の出来不出来、などなどは歴然としている。
しかしブログ世界では、それらは人間の上下関係の形成にならない。コメントを読むとまったく対等な立場で意見を述べている。丁寧語は使うが敬語はあまり見えない。
何故、ブログ世界ではこの様な平等性が実現するのであろうか?
幾つかの原因が考えられる:
(1)書き手の姿が見えないので見かけの差が消滅する。
(2)自分の職業や立場を公開しない場合が多いので職業別の差別が消滅する。
(3)年齢も公開しない場合が多いので年齢による差別が消滅する。
(4)自分の悪い部分を出さずに良い側面だけでブログ世界へ参加できる。
(ブログ世界では実社会でのような生存競争が存在しない)
(5)そしてこれが重要なのだが、ブログ世界で一旦平等の心地よさを味わうとそれを維持しようと、無意識的に行動するようになる。すなわちいかなる作品やコメントへも平等な態度で接し、自分の意見を発表しようとする。
昨夜、中学生からコメントを貰った。考えさせる内容である。全く年齢差が感じられない。丁寧な日本語だが、敬語はほとんど使われていない。このエピソードを紹介して、今日の考察を一旦終りとします。(続く)
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