連載:家族の絆

孫の入学と卒業と就職と人類恒久平和

父が7人の子供残し沖縄で戦死し今年で77年目を迎えるが幼くし父を亡くした我が家は女手1っで貧乏だった。
辛くても苦しくとも誰も助けてはくれなった。

母は35歳、父は37歳の若さでお国のために戦死してもこの世間は冷たく私にとって父は「何のため誰のために死んだのか」今だその虚しさと怨念だけが心を過るが人間雑草食べても生きるもんだ、小2で新聞配達、田畑の手伝い炭鉱の坑木担ぎのバイト,履く靴も無く藁草履に服は父の軍服を小さくし着ていた。

傘もなく祖父のマントを弟と被り学校に通った。
そんな環境で育った私も名古屋に就職し秋田生まれの妻と24歳の時結婚した。