「歴史講座」&「ところCinema」

9・27(火)歴史講座「豊臣秀吉と千利休の確執」の(後編)を受けました。
ー利休は何故切腹の道を選んだのかー
天正18年秀吉は全国制覇の最終章として小田原征伐に出兵する。この時期、両者の中は最悪となっていた。
翌19年利休の最大の理解者で庇護者の秀長(秀吉の弟)が亡くなる。片や政治での天下人秀吉、
片や芸術分野の最高峰を極めた利休。
京都北野天満宮の大茶会を境に2人の関係が抜き差しならぬ対立を迎えた。両雄は並び立たずで呼吸がピッタリ合っている時は最強のコンビだが、一旦対立したらどちらかが滅ばない限り収まらない。
利休切腹の原因とその諸説