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もう13年も過ぎたのか…
私は被災者ではないが、友人や家族が暮らしていた。
シュラフと食料を担いで仙台のまだ停電していたホテルに止まり、ホッカイロを身体中に貼り付けて寝た。
両親の住んでいた所はかろうじて津波から外れていた。弟家族も無事だった。当座の食料と現金を渡した。
友人は一人津波に飲まれた。真面目で勤勉、やさしい男だった。他にも浜の町に暮らしていた知人たちが何人もいたが、浜沿いの家々はことごとく壊滅していた。
そして街中、浜沿いも自衛隊車両と白い防護服に身を包んだ隊員たち。何もかもが異様な「日常」があった。
しかし、更に異常な日常が押