笹沢左保 の 花落ちる―智将明智光秀

★3.4 明智光秀の本能寺までの経緯を家臣・名倉助四郎(架空)の眼で語る。

物語は光秀が丹波を拝領した翌年の天正9年5月から。新たに家臣となった名倉助四郎には厭世的で虚無的な光秀が気になった。この1年間で何があったのか。

天正8(1580年)年8月
・惟任日向守丹波を拝領する。
・本願寺光寿大坂を退く。
・佐久間信盛・正勝父子を高野山に逐う。石山寺の5年間の無為無策と30年間の大きな手柄のなさ。
・家老の林通勝ほかを追放する。24年前の弟・信行を担いだこと。
・佐久間信盛配下であった大和の筒井順慶、摂津の池田恒興、中川清秀、高山重友らが光秀の与力組下