「悟り」の日記一覧

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怒りは自分で引き起こしているとはっきりとわかった

『六祖壇教』より。 禅の五祖弘忍和尚が弟子たちに 「自己の本心である般若の本性を述べよ」 という課題を提示したとき、 神秀と慧能が名乗りをあげた。 神秀の偈(回答) 「身は悟りの樹、心は澄んだ鏡の台 いつもきれいに磨きあげ、塵や埃を着かせまい」 慧能の偈 「悟りにもともと樹はない、 澄んだ鏡もまた台ではない。 本来からりとして何もないのだ、 どこに塵や埃があろうか。」 弘忍和尚は 神…

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悟り

久しぶりに亡父の夢をみた。 腰痛に苦しんでいるようで、湿布の山。 どうしたら良いかと云うので「病院へ行けば」と云うのだが、頑固者は私に何とかして欲しいようだ。 仕方が無いので鎮痛剤として「頭痛薬」を渡す私。 頭痛薬とは云わず「凄く効くから」と魔法の言葉を添えて。 数週間前に、亡母と亡祖母の夢を見たばかりだ。 母は笑顔で、そして大好きだったお婆ちゃんは、持つ所がU字型の…

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「わかる」って何ですか?

禅などでいう悟りって何ですか、という問いと同じなのだけれど、これはわかっているようで、よくわからない。 何べん聞いてもわからないということがある。 そのわからなさについて、長いこと考えていたが、やはりすっきりしたものは得られない。 でも、わかるという言葉に含まれる意味は、 (1)頭でわかる。知識として知っている (2)ストンと腹でわかる。気持ちが沿っている の2つがあるように…

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楽しみのおあずけ

明日行く予定だった 糸島にある「立石山」での山歩きが 雨のために中止になりました。 立石山は標高210メートル。 ▼初心者でも楽しめる低山です。 そうだ、低山へ行こう! 標高210メートル、糸島の立石山 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/601160/ うらめしい雨ですが 草木が喜ぶ雨でもあります。 そして・・・ 楽しみは熟成させた方が美味しいのだ…

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ほんとうの信心とは

仏教を学んでいる方から ほんとうの信心についてコメントをいただいた。 ここのところは 自分でも不確かでよくわからないところだったので、 いい機会なので考えている。 その方が言われるには、 ほんとうの信心とは微塵の疑念もない 信じる気持ちという事だ。 その信心は自分の意識に上るようなものではなく、 その先に生じるもので、 阿弥陀から賜る類のものだという。 すごくわかりやすくて 自分も「なる…

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悟りとは

「五欲煩悩迷妄の煉獄を経て、 はじめて人間の事が透明に見えてくる」 という。 私はそう思わない。 どのような体験を経ても、 人間が分かることはありえない、と思う。 少しは理解が深まるかもしれないが、 それだけ。 人生経験を重ねると、 世界や宇宙の奥深さや複雑さが濃くなっていく、 つまり、透明度は低下してくる。 これが普通の生き方だろう。 世の中の真理は分からないが、 分からないままで納得…

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自分のものであるのに、自分のものではない (自分のためのメモ)

なんだか矛盾したものの言い方ですが、これは人間のいのちというか肉体というか、その存在のあり方を表現しています。浄土真宗の住職である大峯顯氏の言葉です。 たとえばわれわれは肺を使って空気を吸い込み、そこから生命維持に必要な酸素を得ます。この肺は自分のものであるのは確かなのですが、自分で動かしている意識はありません。運動をすればより多くの酸素が必要になって、呼吸数が増えます。また就寝中も肺は動くこ…

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そのものズバリがわかりたかったけど

仏性とか仏心とかいうもの、 命の有り難さ尊さ 法句経182 「やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし」 の後半部のところ ーー本や人の体験からの知識ではなく、 ズバリとわかりたかったのだけれど 凡人の自分には無理だとわかった。 そうしたものを求めていっても 得られるかわからない。 そんなことに没頭していると 日常のことがおろそかになってしまう。 そちらの方が 愚かだと思っ…

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悟りの後半部

死ぬのに人生に意味があるのかという人がいる。 自分も死ぬことに気がついて、 少しだけど考えたりした。 生きることに意味はあるのか という答えとして、 自分はいままで それは神だけがわかることで 被造物である私たちにはわからないもの 考えなくてもいい事 という風に捉えていたが、 そうではないということに気がついた。 では 生きる意味は何なのか? 生きるのが嬉しいし楽しい これが答だ。 …

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自分が死ぬというのは悟りの一つ

自分は死ぬのだな という思いがどこからともなく湧いてきて 変なことを思ってしまったと日記に書いた。 絶望感に苛まれたり 奇妙な考えが浮かんだものだと 呆れたりしたのだが、 よくよく考えると 浮かんできたこの思いは 事実を表している。 死というと、 私たちは忌み嫌うものとして 避けたがるのだが、 絶望感に苛まれたり 避けようとする思いの方こそ 変な考えなのではないか。 いや。 こうした…

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悟りという見慣れない生き物のはなし (自分のためのメモ)

鈴木大拙先生が紹介されている悟りのお伽話。 あるとき木樵が、木を切りに森に入ってあちこち木を切っていたら、ひょっこりと奇妙な動物が現れたという。 これは何だと思い、 「お前はなんだ?」と声をかける。その動物がいうには、 「私は、サトリというものだ。」サルじゃなくてサトリだという。 「そうか、そいつは俺が欲しくてならぬものだ。よし一つ捕まえてやろう。」 と思ったら、そのサトリという動物はいう。 「…

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人間の脳の性質なのだが・・・ (自分向けのメモ)

事実とか現実とかに初めてであったときに、ボクたちは強い感銘を受けます。初めての子供が生まれたとか、初めて舞台に立って演技したとか。 しかし人間の脳の特性なのでしょうね、2回目からは、これは一度経験したことで、自分は解っている、知っている、経験者だという意識が生まれます。これは、事実とか現実に対して、じかに触れて感動することを避けて、知識でものごとを処理するようになります。感銘を受けたとしても、…

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老いと悟り

(日本経済新聞「シネマ万華鏡」・・映画評論家・村山匡一郎「大自然の中、老いと悟り」’21年5/21 夕刊より) 映画「やすらぎの森」(2019年 カナダ ルイーズ・アルシャンポー監督、原題は「山火事に逃げ遅れ(焼け死んだ)鳥たちが空から雨の様に降ってくる」との意)は カナダ・ケベック州の(人里離れた深い森の中) 湖のほとりに佇む小屋に、(世間に背を向け)”世捨て人”のように暮らす3人の老人と…

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仏性に気づくことだけ

思いついたまま取りとめなく 書いていて、テキトウいい加減なので、 真面目に取り合わないようお願いいたします! 高い自己肯定感と 低い自己肯定感を持っている自分について 日記を書いたが、 そういう自分なんだと知るだけで、 そこからの解決策を講じるというのは おかしいということに気がついた。 上がったり下がったり ・・表面の自分はこんなことばかりやっているが、 その底には真実の目を持っている…

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妙好人 源左における信 (自分のためのメモ)

読書会では、楠恭著「妙好人を語る」というテキストを読み進めている。いま「因幡の源左」という方の言行録みたいな部分を読んでいるが、源左の信の深さに改めて打たれる。 源左は百姓として生きたけれど、信心の深さから周囲からお話(法話)をせがまれたり、さまざまな相談事にのって解決をしていた。 こんな言葉が伝えられている。 「親様にハイと返事させてもらやあ、助かることは済んどるだがやあ」 源左は、自分の…