怒りは自分で引き起こしているとはっきりとわかった
『六祖壇教』より。 禅の五祖弘忍和尚が弟子たちに 「自己の本心である般若の本性を述べよ」 という課題を提示したとき、 神秀と慧能が名乗りをあげた。 神秀の偈(回答) 「身は悟りの樹、心は澄んだ鏡の台 いつもきれいに磨きあげ、塵や埃を着かせまい」 慧能の偈 「悟りにもともと樹はない、 澄んだ鏡もまた台ではない。 本来からりとして何もないのだ、 どこに塵や埃があろうか。」 弘忍和尚は 神…
『六祖壇教』より。 禅の五祖弘忍和尚が弟子たちに 「自己の本心である般若の本性を述べよ」 という課題を提示したとき、 神秀と慧能が名乗りをあげた。 神秀の偈(回答) 「身は悟りの樹、心は澄んだ鏡の台 いつもきれいに磨きあげ、塵や埃を着かせまい」 慧能の偈 「悟りにもともと樹はない、 澄んだ鏡もまた台ではない。 本来からりとして何もないのだ、 どこに塵や埃があろうか。」 弘忍和尚は 神…
仏教を学んでいる方から ほんとうの信心についてコメントをいただいた。 ここのところは 自分でも不確かでよくわからないところだったので、 いい機会なので考えている。 その方が言われるには、 ほんとうの信心とは微塵の疑念もない 信じる気持ちという事だ。 その信心は自分の意識に上るようなものではなく、 その先に生じるもので、 阿弥陀から賜る類のものだという。 すごくわかりやすくて 自分も「なる…
「五欲煩悩迷妄の煉獄を経て、 はじめて人間の事が透明に見えてくる」 という。 私はそう思わない。 どのような体験を経ても、 人間が分かることはありえない、と思う。 少しは理解が深まるかもしれないが、 それだけ。 人生経験を重ねると、 世界や宇宙の奥深さや複雑さが濃くなっていく、 つまり、透明度は低下してくる。 これが普通の生き方だろう。 世の中の真理は分からないが、 分からないままで納得…
なんだか矛盾したものの言い方ですが、これは人間のいのちというか肉体というか、その存在のあり方を表現しています。浄土真宗の住職である大峯顯氏の言葉です。 たとえばわれわれは肺を使って空気を吸い込み、そこから生命維持に必要な酸素を得ます。この肺は自分のものであるのは確かなのですが、自分で動かしている意識はありません。運動をすればより多くの酸素が必要になって、呼吸数が増えます。また就寝中も肺は動くこ…
仏性とか仏心とかいうもの、 命の有り難さ尊さ 法句経182 「やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし」 の後半部のところ ーー本や人の体験からの知識ではなく、 ズバリとわかりたかったのだけれど 凡人の自分には無理だとわかった。 そうしたものを求めていっても 得られるかわからない。 そんなことに没頭していると 日常のことがおろそかになってしまう。 そちらの方が 愚かだと思っ…
死ぬのに人生に意味があるのかという人がいる。 自分も死ぬことに気がついて、 少しだけど考えたりした。 生きることに意味はあるのか という答えとして、 自分はいままで それは神だけがわかることで 被造物である私たちにはわからないもの 考えなくてもいい事 という風に捉えていたが、 そうではないということに気がついた。 では 生きる意味は何なのか? 生きるのが嬉しいし楽しい これが答だ。 …
自分は死ぬのだな という思いがどこからともなく湧いてきて 変なことを思ってしまったと日記に書いた。 絶望感に苛まれたり 奇妙な考えが浮かんだものだと 呆れたりしたのだが、 よくよく考えると 浮かんできたこの思いは 事実を表している。 死というと、 私たちは忌み嫌うものとして 避けたがるのだが、 絶望感に苛まれたり 避けようとする思いの方こそ 変な考えなのではないか。 いや。 こうした…
鈴木大拙先生が紹介されている悟りのお伽話。 あるとき木樵が、木を切りに森に入ってあちこち木を切っていたら、ひょっこりと奇妙な動物が現れたという。 これは何だと思い、 「お前はなんだ?」と声をかける。その動物がいうには、 「私は、サトリというものだ。」サルじゃなくてサトリだという。 「そうか、そいつは俺が欲しくてならぬものだ。よし一つ捕まえてやろう。」 と思ったら、そのサトリという動物はいう。 「…
これは不快をのがるる妙法にて候 ~良寛さんの言葉参考
事実とか現実とかに初めてであったときに、ボクたちは強い感銘を受けます。初めての子供が生まれたとか、初めて舞台に立って演技したとか。 しかし人間の脳の特性なのでしょうね、2回目からは、これは一度経験したことで、自分は解っている、知っている、経験者だという意識が生まれます。これは、事実とか現実に対して、じかに触れて感動することを避けて、知識でものごとを処理するようになります。感銘を受けたとしても、…
思いついたまま取りとめなく 書いていて、テキトウいい加減なので、 真面目に取り合わないようお願いいたします! 高い自己肯定感と 低い自己肯定感を持っている自分について 日記を書いたが、 そういう自分なんだと知るだけで、 そこからの解決策を講じるというのは おかしいということに気がついた。 上がったり下がったり ・・表面の自分はこんなことばかりやっているが、 その底には真実の目を持っている…
読書会では、楠恭著「妙好人を語る」というテキストを読み進めている。いま「因幡の源左」という方の言行録みたいな部分を読んでいるが、源左の信の深さに改めて打たれる。 源左は百姓として生きたけれど、信心の深さから周囲からお話(法話)をせがまれたり、さまざまな相談事にのって解決をしていた。 こんな言葉が伝えられている。 「親様にハイと返事させてもらやあ、助かることは済んどるだがやあ」 源左は、自分の…