「自伝」の日記一覧

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4回目のボデー、その6.

  13.老後の生き方。 我が家の長女はプールで3度溺れました。浮き輪につかまってパチャパチャやっていると突然転覆し、足が空中でジタバタ、急いで駆け付け、引っ張り上げると泣き出します。 これに懲りてもう辞めるか思うと、泣きが収まるとまた水に入りたがりました。 3度転覆の後は転覆しないコツを掴んだらしく、以後転覆はしなくなりました。 これは笑い話で済ませられますが、楽しい筈の水辺で…

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4回目のボデー、その5.

  12.人名救助。 何回も死に損なったケンさんですが、何時も助けてもらってばかりいるのではなく、3名の若者の命を水難事故から救い上げました。3名の救命と引き換えに、この世に何度か戻してもらえた様な気もします。  1人目:鴨撃ちクラブの後輩は1985年頃に鴨を撃墜、泳いで回収に向かいましたが、そこは離岸流の逆流が強く、戻る事が出来ませんでした。沈み始めましたので、急いで助けに入りましたが…

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4回目のボデー、その4.

  10.悪性リンパ腫により4つ目のボデーとなりました。 この半殺し治療は20~30%が本当に歩けなくなります。ケンさんは長い半殺し治療が終わった時、かろうじて歩けました。 半殺しの時、また夢を見ました。ダイコンの親分が祭られている神社でした。 ケンさんが近くに行くと、その祭られている巨大なダイコンが突然歩き出しました。 こっちに来いと言っているので付いて行くと、ブルーの光線を浴…

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4日目のボデー。その3.

  8.A型肝炎で死に損ない、3つ目のボデーになりました。 1980年頃A型肝炎が流行し、ケンさんは劇症化、昏睡状態に陥り特別室に移されました。 そこは過半が裏口から退院する所ですが、ケンさんは意識がなくなった数日後、夢を見ました。やけに向こうの方が明るく、且つ賑やかなのです。 明日、行ってみようと思いました。そしたら翌日目を覚まし、その数日後には一般病棟に戻って来れました。賑やかに見えたの…

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4回目のボデー、その2.

  5.散弾銃のスナップショットと言う考え方。 合理化の話で、銃の照準を例に挙げましょう。当時はまず銃を正しく肩に付ける事から始まると、考えられていました。銃は目標に正しく向けて、狙わなければ当たりませんが、それにはそれなりの長目の時間が必要です。具体的には2~3秒です。 突然獲物が目前に出現した時、射程距離がMax50ⅿの短い散弾銃では、獲物が射程外に飛び去るまでの時間は僅か2秒以内です。獲…

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4回目のボデー。その1.

  1.最初のボデー。 ケンさんは1950年1月19日に生まれました。最初のボデーは並以上の身長はありましたが、頭が異常に大きく、胸が凹んでいたそうで、頭の方はその後何事もなかった様ですが、胸部未発達症では何度も医者に足を運んだそうです。 その為もあってか、著しく体力が不足し、加えて運動神経が超鈍く、周りの子と一緒に遊べなかったそうで、何時も一人で空想遊びをしていました。  小学校の…

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40、『森繁自伝』(森繁久彌著)には、役者の部隊は燃焼芸術と呼ぶ、と言っています

『森繁自伝』 森繁久彌著 中公文庫  昭和52年7月10日発行 ーあの有名な森繁久彌という人は、どんなことを思って生きたのか、と僕は思っていたので、偶然、この本を買って読んだ。そうしたら、磯田道史さんの著書に、「森繁自伝」の、津波の話が載っていて、興味を感じた。森繁久彌さんは、しぶとい健康を保てたことに、何か他の力によって支えられているような気がしたことと、私に贈られる純粋の愛情が私に伝わり、私…

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柳家小三治自伝「どこからお話ししましょうか」

小三治は枕が面白い。いや正確にいうと枕「も」面白いのだが、その枕だけを収録した「ま・く・ら」などの本も出ていて、それらも非常に面白い。 それで「自伝」と言ってもその延長で自分について語っているんだろうと思って読んだら、これが大違い。もちろん飾らずに自分を語るという意味では確かに小三治の「枕」なのだが、内容が実に深いのである。まさに人生論、芸術論なのだ。 どう深いのかを伝えるのは私の能力を超え…

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最近読んで感銘を受けた2冊の本@2人の指揮者の自伝

春先から最近に掛けて読んだ2人の指揮者の自伝に感銘を受けました。 その2冊とは、「ヘルベルト・ブロムシュテット自伝」と「ウォルフガング・サヴァリッシュ自伝」です。 私はお気に入りの演奏家の伝記や著作を読むのが好きで、これまでにも往年の巨匠から現役に至る色々な指揮者のものを読み、それぞれの演奏に聴くものに通じる深く動かされるものを感じてきました。 今回読んだ2冊は、それらにも勝るとも劣らない…

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バラ-ド最後の作品

戦前の上海共同租界で生まれ、少年期を 上海にある日本軍の収容所で過ごした バラ-ド。戦後は英国に帰り、ケンブリッジ大で 解剖学、医学より文学を選び、ロンドンの Q・メアリ-カレッジに進学。 従来にはないニュ-ウェ-ブと呼ばれるSF作品を 書いても脚光されなかった。英国は相変らず 純文学を第一とし、米国はコミックの延長みたい、 宇宙モノが持て囃され、彼の評価は低かったそうだ。 彼の作品が映画化…